'97-8月 案山子立て

生まれて初めて作った案山子の非エコ系を少々反省の巻

父の実家が農家だったので、小学校の頃は夏休みに帰省し、叔父や祖父に田圃に連れて行かれたのを覚えている。裸足になって草取りをした。あと、よく覚えているのはキュウリやトマト、スモモなどがお八つで、メチャ美味しかったこと。昼はソーメンのことが多く、湧き水の辺でとれる生わさびが子供心に嫌いだった(今から思うと超贅沢だったが)。それから裏の竹藪で孟宗竹を切ってきて、いろんな工作をした。弓、刀、草スキー、水鉄砲、舟、飛行機、ゴム鉄砲、竹トンボ等々。叔父にモートル作りも教わり、一時は、モーターで動かす舟や飛行機作りに凝ったこともある。小学校も高学年になると、私は発明家になるのが夢だった。

それにしても、夏休みに案山子を作ったという思い出がない。作るのだったらお手のものだったはず。叔父たちは、案山子作りをあまり子供の工作の対象には考えていなかったのかも知れない。というわけで、53歳にして、生まれて初めて案山子づくりに挑戦した。招き猫ならぬ、「雀撃退ボクシングネコ」イコール「実り招き猫」とのコンセプトで、針金とビニルテープを駆使、蓄めていたスーパーのポリ袋を詰め物に、黄色と黒のまだら模様の案山子ができあがった。

勢い込んで棚田の案山子コンテストに持ち込んだのはよかったが、他の人のを見て、「シマッタ」という感じ。エコ案山子というコンセプトが全く抜けているではないか。なぜ、稲刈りが済んだら燃やしてしまう物だということを考えなかったのか、反省しきりであった。でもまあ、せっかく作ったのだし、麦藁帽をかぶらせ、エプロンを着せたので、非エコはあまり目立つこともなく棚田案山子群の仲間入りをさせていただいた。(1997.8 by 陽)