'97-10月 稲刈り

傍目にはのろのろと稲を刈るの巻

朝から文句なしの稲刈り日和。9時50分に勧請橋に着くともう稲刈りに来たオーナーの車が数珠繋ぎ。みんなの気持ちがよく分かる。1年間、この日の収穫を目指して明日香の棚田に通い詰めてきたのだ。

 

乾燥のため稲を掛けるハザ(地元の人はカコと言っていた)と呼ばれる棒と、足を10本ばかり、めいめいが田圃に運んだところで、インストラクターから稲の刈り方を教わる。4~5株ずつ片手につかめる範囲をザクッ、ザクッと一気に刈り、後で結束する10~12株ずつを一かたまりに並べて行く。しばらくやると手の握力がすぐ衰えてきて片手に3~4株をつかむのがやっと。一かたまりの山が、多いの少ないのばらつきが出るが、結局だいたいの目分量で良しとする。

 

刈ることだけは、女房とその母との3人がかりで午前中の1時間半で終え、午後からの作業になる結束の要領をインストのおじさんから教わる。両手で藁をもち、稲の束を押さえ、後ろに回し片手でつかんでひっくり返し、ギュッ、ギュッと2回藁を捻って端を差し込む。これも握力が必要だった。握力がすぐだめになるのには、我ながらあきれる。  11時30分には昼休み。例によって、ハウスにしつらえられた生ビールをいただく。11時半に農作業を切り上げて、家に帰り昼にする農家のスタイルにはなんとなく憧れてしまうのだが、我々とは作業の開始時間が全く違うのは棚に上げている。

 

午後からは結束と、ハザ掛け。一所懸命なのだが、傍目にはどうみてものろのろと稲を束ねる。お隣は例によってクラブ活動の中高生(大阪教育大学付属) グループがピチピチと作業中。彼ら、彼女らから援軍の申し出があったので、わが稲の結束はこの後あっという間に完了。ハザ掛けがしやすいよう稲の束を一カ所に集めるところまで手伝ってくれて、さわやかに帰っていった。同じ田圃を仕切った隣同士なので彼らともすっかり顔見知りなのだ。

 

ハザ掛けも、われわれが一番時間がかかった。ハザを2本継いで稲束を掛けていったのだが、ギュウギュウに詰めないで二段に重ねてしまったので、稲束が鉄棒をしているみたいに揺れてきて、「こりゃ風が吹いたらひとたまりもない」とインストのおじさんに総出で手伝ってもらい、もう一本ハザを継いでやり直し、ようやくハザ掛けを終えたのだった。

 

ハウスからマイクで全員集合がかかっている。一番後から集合すると、早稲田大学の中島峰広教授(学術博士)が見えていて、「全国の棚田オーナー制度で、このようにオーナーが実際にAからZまで汗を流してお米を作っているのは希有の例なので、誇りを持って続けて欲しい。みなさんの経験を今後広げて行くために実際の姿を見に来た」との挨拶があった。楽しみながらやっているに過ぎないのだが、やってみて学んだことは確かに多かった。その実感をわれわれなりに発信していくのも、意味のないことではないようだ。

 

準村民よろしく、明日香村健康福祉センターで「大海人の湯」に浸かり、帰途、車の中でわれわれの収穫米以外も、棚田の玄米を分けてもらい、自分の家で精米するのはどうだろうかと、相談した。来年は畑も借り、もっと明日香に染まることになりそうだ。今年はあと、11月9日の脱穀、籾擦り、11月23日の収穫祭を残すのみ。(1997.10 by 陽)