'97-11月 脱穀・籾擦り

玄米さん90キロ、お乗り~の巻

よいお天気に恵まれた一日だった日曜日の夕方、勧請橋の上は、今日自分が収穫した、ずっしりと重い玄米の袋を受け取る棚田オーナーたちの、上気した笑顔で溢れていた。わが家の収穫は90キロ、30キロの袋が3つ車の後部座席に収まった。半年間の汗の結晶は、小さなお相撲さん、舞の海関あたりにドスンとお乗りいただいたくらいのものになっていたのだ。何回かの真夏の炎天下の草刈りは、この何十年を振り返っても一番頑張った経験だった。

 

みんな橋のたもとに集まり、棚田ルネッサンス実行委員会豊田会長(稲渕大字総代)より「今年の田圃の作業は今日で終わり。プロの農家は、来年はもっとどうしようと、収穫したらすぐ来年の段取りに頭を切り替えているもの。みなさんも、11月24日の収穫祭には今年の反省点をふまえ、来年のやり方についての意見をもってきて欲しい。24日は野外で持ち寄りのパーティにしましょう」との提案をみんなで確認しあってお開き。

 

朝からの作業で、体中がイガイガする。班単位の行動で、それぞれの田圃の脱穀を手伝った。大人も子供もまぜこぜでハザかけの稲束を外し、脱穀機にかける人にリレーする藁まみれの作業が延々と続く。自分の田圃の脱穀が済むと、オーナーは籾の袋を担いで籾擦り機を設置した田圃へもって行く。わが家のは籾が4袋にもなった。玄米になると30キロ袋3つ。これは、なんとこの日の収穫の最高記録だった。小学生の女の子が二人、籾擦り機から流れ出てくる玄米を大きな箕(み・竹で編んだ大きなちりとり状の容器)で受け、袋に移す作業を手伝っていた。わが家の3袋もこの二人が「セイノー」とかけ声を交わしながら、交互に玄米を受け、袋に移してくれたのだった。あの子たちは、今日の自分たちの働きを大人になってもきっと覚えているだろう。

 

棚田を順々に脱穀機が回るうちに、手の空いた人は脱穀した藁をしばたて(藁束を四つを一束にくくって立てる)にし、スズキ(田圃の中に棒を立て藁をサイロ型に積んであるやつ)を建てる方にまわる。インストラクターの藁さばきを見よう見まねでやってみるが、藁をちょっと捻るとフニャッとした藁束がシャキッと立つ境地にはなかなか至らない。半立ち状の藁束をを積み上げたスズキになるが、遠目にはぽつんぽつんと積み藁のある棚田独特の晩秋の風情をつくる雅味のうちとお許しいただこう。

 

ハザ掛けも、われわれが一番時間がかかった。ハザを2本継いで稲束を掛けていったのだが、ギュウギュウに詰めないで二段に重ねてしまったので、稲束が鉄棒をしているみたいに揺れてきて、「こりゃ風が吹いたらひとたまりもない」とインストのおじさんに総出で手伝ってもらい、もう一本ハザを継いでやり直し、ようやくハザ掛けを終えたのだった。

 

そんなこんなで、私と女房とその母は、三人ともイガイガしながらも3袋の収穫に、心は豊かな帰り道である。明日香への往き帰りに見つけてあったコイン精米所で、さしあたって試食したり、周りの方々にお裾分けするため一袋だけ精米した。

 

精米所に先客のご夫婦がいて、このお家は今年玄米を2俵(30キロ×4袋=120キロ)買ったそうだ。明日香で田圃を借り田植えから自分でやって今日穫れた玄米だと言うと、いくら掛かったかという話になった。我々が田圃を借りて3袋収穫した費用より、彼らが4袋買った方が安かったのだが、我々がこの半年通った"明日香の農業体験学校"の授業料は、得た玄米の分を彼らの買ったお米代に換算して差し引くと、毎月三人で3千円足らず。こんなに安いカルチャースクールはどこを探してもないことを納得した。(1997.11 by 陽)