'97-6月 蛍の夕べ

蛍の潤いを残す意味の巻

明日香は蛍の里でもある。台風がらみの雨にたたられはしたが、関西大学飛鳥文化研究所の講堂を借りて蛍の夕べの集いが催された。天気が良ければ、研究所前の飛鳥川の谷筋は蛍が乱舞する名所なのだ。午後2時から人と自然の関わりについていろいろとお勉強をして、午後8時頃から蛍鑑賞とあいなるはずであった。

 

お勉強会では、水の循環の仕組み、日本の生態系を維持するために水田が担っている役割などは、明日香の棚田に関わる意義を再確認させてもらった。明日香の農家がどんなに採算性が悪かろうとも、棚田を維持し米づくりを続けている背景には、それによって維持されている生態系を壊しては、先祖に申し訳ないという意識がある。そしてその生態系は子孫から預かっているものでもあるという意識もある。あるいは潜在意識といった方が近いかも知れないが、これを壊してしまったら大変なことになるという危機感が感じられる。

 

明日香に関わることで、本当に自然な食べ物を食べ、自然と語らう生き方を選ぶ気持ちをもつようになったのはよかったとおもう。そして今日は蛍を見ることはできなかったが、蛍のことはいっぱい知った。蛍は飛んでいるのがオス、止まっているのがメス。オスはいろんな発光パターンでメスを誘っており、メスが応えてくれれば結婚成立。あの光の乱舞はなにやら艶めかしい動機に基づくものだったのである。

 

明日香に蛍がいるのは、川が自然のままだからである。コンクリートの護岸は蛍の住む場所を奪い、あの艶めかしい潤いを人々の暮らしから奪う。明日香の人々に接していると1000年の歴史の重みを感じることがある。1000年受け継いだものは1000年残さなければならない。そういうスタンスを感じるのである。現代人の都合だけで自然をいじってはならない。ましてや、一部の業界の都合だけでやたらと川をコンクリートの構造物に変えてしまうのを許してはならないと思う。(1997.6 by 陽)