'97-12月 忘年会

忘れたくない一年の、忘れられない”防”忘年会の巻

今年明日香村の棚田で米作りに取り組んだ仲間の忘年会が、名刹橘寺で行われた。ボクと女房とその母がようやく橘寺に着いたのは、もう午後11時に近い時間だった。川原寺跡まできて、南の小高いところにあるお寺の方を見上げると、宿坊らしい部屋から明かりが漏れているので、まだ寝てはいないなと安心して、東門の方に車のハンドルを切った。夕方に長男が来宅して、話し込んでいるうちに遅くなったのだが、途中仲間から、いいものが見られるから遅くなってもくるようにと連絡をもらっていたのだ。

 

いいものというのは、メンバーの一人Yさんの制作したマルチプロジェクションスライドだった。4台のプロジェクタが連動して、この一年間の米作りのシーンを、明日香の心和む風景と折り重なるように映し出す作品は、仲間のMさんの美しいナレーションとも相まって詩情豊かに仕上がり、恋愛時代にも相当する熱い思いで過ごしたあっという間の一年を、涙が出るほど感動的に再現してくれた。亀石の目にCG(コンピュータグラフィックス)を駆使して目玉を入れ、ピカピカ光らせるなど、Yさんの子供のような悪戯心も垣間見え、プロが遊び心一杯に作った作品はどんなに面白くなるか、じっくりと見せてもらった感じがした。

 

聖徳太子が生まれたお寺という橘寺は、格式の高いお寺なのだと思うが、われわれは、米作りのリーダーである役場の高内良叡さんがご子息という縁で、自分の田舎の親戚に泊まったような気安さで、朝を迎えた。昨夜見た宿坊の明かりは、メンバーの女性用に用意していただいた離れ座敷で、そこから見る明日香の里の朝は例えようもなく美しかったと、女房から聞いた。ボクはYさんと縁側の日溜まりで広大なお寺の伽藍をぼんやりと眺めながら、コーヒーを飲んだ。こういう時間が一番好いねとどちらからともなくうなずき合った。

 

お寺の庫裡の朝は、住職の高内良正師と良叡さん親子から食べ物を粗末にしない生活、環境に優しい生活の仕方を学ぶ場だったという。鍋物の残りはバケツの笊に受けて、生ゴミも出汁も肥料として土に返す。余った材料は、冷凍と冷蔵に分け、朝食に使えるものは使う。洗い物の段取りは洗剤の使用が最小限になることを念頭に置くと、自ずから順序というものがあることを教えられた。これは女性たちがこもごも感じたことだが、共通した感想でもあった。

 

師と息子の良叡さん親子がメンバーの女性たちに率先垂範して、お寺の当然の作務(さむ)のように昨夜の宴会の膨大な片づけをこなし、みんなの朝食が良叡さんの主導であれよあれよという間にできあがったのだ。その過程で何かを感じ取ってほしいなどとは別に思わないだろうが、偉いお坊さんと息子さんの間で日頃から繰り返されているであろう真剣な掛け合いの迫力に、女性たちはすっかり見とれてしまったようだった。

 

いろいろな忘年会があると思うが、我々のは、忘れたくない一年の、忘れられない"防"忘年会になった。土地のKさんのミカン畑で、お正月用のミカン狩りをさせてもらい、帰りがけ車にミカンを積んでいると、畑仕事のおばさんから「今日はミカン穫りかね」と声をかけられた。橘寺で棚田のメンバーの忘年会があって、その帰りだというと、「来年またおいでや、寒うなるけど気をつけてな」と声をかけられ、明日香は心の温まるところだと改めて思った。(1997.12 by 陽)

高内良叡さんのこと

 

2008年1月明日香村の名刹橘寺で高内良叡さんの葬儀が営まれました。52歳の若さで何でなんだ~!!!!お父様であるご住職も叫んでおられましたが、癌でした。高内さん作詞作曲の優しく若々しく情熱的な歌が流れる葬儀でしたので、とうてい亡くなったとは思えず、いつも稲渕の里山にこだましていた明るく晴れやかな歌声が今も耳に残たままです。

 

風来坊のように、飄々としていて、それでいて地元のこと、農業のこと、何でも知っている人でした。難題があってもやれるかもしれないことはそれを形にするアイデアを出せる人でした。先日村役場のある方とご一緒する機会があったときも「ほんとうに惜しいアイデアマンだった」とおっしゃっていました。そのリーダーシップについていくつもりでした。

 

器用な人でもありました。あるとき田原本町の青垣生涯学習センターの図書館に行くと、ちょうど手仕事のイベントがあって、アトリエ夢灯りとして高内さんも出展しておられました。針金細工のYho&Hiroの表札を作ってもらったのが、いまも仕事場にしている離れの入り口にかかっています。

 

それにしても、大事な人ほど早く亡くなるのですねえ。でも、13年前彼がまいて育んできた奥明日香農村集落活性化のた種は実り、また新たな種となって後の若い方に育まれていくと思っています。陽&ひろも明日香から持ち帰った田舎活性化の種を桜井の地元で育んで行こうと思っています。

(2008.12 by 陽)